2016年御翼10月号その2

                                         

「労する者 重荷を負う者 我に来たれ」―― 星野富弘さん

 手足が動かず、口で信仰の絵と詩を書くことで、世界中の人々を勇気づけている星野富弘さんに、『エルヴィスの真実』を出版社がお贈りした。すると、富弘さんは毎週、教会に通う車中で、牧師が教えてくれたエルヴィスのゴスペルのCDを聞いているという。
星野富弘さんは、1970(昭和45)年、群馬大学を卒業後、中学校の体育教師となるが、僅か二カ月後、宙返りに失敗し、頸髄(けいずい)を損傷、手足の自由を失う。入院中、知人が置いて行ってくれた聖書を読むと、マタイ11・28「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」に目が留まった。それは、高校一年生の春、重い堆肥を背負い、自宅の裏の畑へと急な土手を上って行った時のことである。突然目の前に白い十字架が現れた。土が新しく掘り起こされていたその十字架には、太い筆の字で「労する者 重荷を負う者 我に来たれ」と書かれてあった。富弘さんはそれを思い出したのだ。そして、あらかじめ自分にこの御言葉を示してくださった神さまがおられるのかもしれない、という思いになり、四年後、病室で洗礼を受けるようになる。
それから二十数年後、富弘さんが初めて出版した『愛、深き淵より。』を読んだ神部(かんべ)ご夫妻が訪ねて来られた。その本に、白い十字架の事が書かれていたが、それは自分たち夫婦が立てたのだと神部さんは言う。そこは神部家の墓地であり、ダウン症で生まれ、生後八か月で召された息子さんの遺骨を納めたときに、十字架を立て、キリストのことばに立ち止まる人が、一人でもいてくれることを願って、「労する者 重荷を負う者 我に来たれ」と書いたのだという。その文字は、神部夫妻を信仰に導いた太田キリスト教会の小澤牧師に頼んで書いてもらった。
 「小澤牧師って、もしかして小澤 薫牧師ではないだろうか……」と、富弘さんは思った。大学時代所属していた器械体操部で指導してくれた小澤先輩が、富弘さんのことを大変可愛がってくれた。大学三年のある土曜日、先輩はスクーターの後ろに富弘さんを乗せ、一時間ほどの先輩の自宅に連れて行ってくれた。その家には、太田キリスト教会という看板がかかっていた。小澤先輩のお父さんは牧師、お母さんとお姉さんは伝道師だという。一晩泊まると、翌日の礼拝に出させられた。その時、説教してくれたのが、先輩の父親、小澤薫牧師だった。
 白い十字架に「労する者 重荷を負う者 我に来たれ」と書いた小澤 薫牧師に、富弘さんは大学生の時に、既に出会っていたのだった。神様は、富弘さんを最も相応しい人に次々と出会わせ、神様の家の門にやさしく誘ってくださっていた。神は、キリストによって神と人とが正しい関係になる日が来ると約束され、今も一人ひとりにその約束を成就しておられる。

 

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